松原刃物の歴史
800年程前、日本の国では、源氏と平氏の2大勢力が争いを続けていましたが、次第に源氏の力が強くなり文治元年(1185年)壇ノ浦(山口県)の合戦で平氏は敗れてしまいました。
もともと、刀鍛冶として大和の国(奈良県)に住んでいた並衡行泰氏は、刀工として平氏一門に入り、合戦に敗れた後は、源氏の追討を逃れて日向の国(宮崎県)に身を隠しました。
1400年時代になると、日本は各地の領主の勢力争いが激しくなり(戦国時代)刀剣の需要も多くなってきました。松原村郷土誌によると、「文明6年(1474年)並衡氏の子孫が日向の国から、
肥前の国大村(長崎県)の松原に来て八幡神社の境内で刀を鍛え、また、農民の要望に応じてこの時に初めて月型の鎌が造られた」と記してあります。
500年の伝統を持つ松原鎌・包丁は、材料の精選による切れ味と「粘り強さ」を備えた極上の手打ち庖丁で、平成3年6月1日、長崎県の伝統的工芸品に指定されました。
ご家庭用として、またご贈答用としても喜んでいただける逸品で大村地方の特産物です。
鍛冶の町松原宿
長崎街道は江戸時代に、小倉から長崎までを25の宿で結んだ街道です。
鍛冶の町松原宿はその1つで、江戸後期には17件の鍛冶屋があったとされます。
鍛冶(かじ)とは、金属を鍛錬して製品を製造すること。
焼いては打ってを何度も繰り返すことで、強度を増し耐摩耗性が飛躍的に向上いたします。
鍛えれば鍛えるほどに、粘り強く切れ味も良くなるのです。
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